MADPROFESSOR Twimble
悪くはなかったけど…最高ではなかった。 ライブとかで使う前に手放しちゃったな。
あまりに短期間の所有だったため、特に記憶に残ってないし、語ることもないという…。
MADPROFESSOR Twimble
悪くはなかったけど…最高ではなかった。 ライブとかで使う前に手放しちゃったな。
あまりに短期間の所有だったため、特に記憶に残ってないし、語ることもないという…。
Jim Dunlop GCB95 MOD
写真がむっちゃ大昔のやつですが。
私が18歳まで過ごした岡山県津山市、その街で1980年代から90年代後半にかけて楽器屋、CD屋といえば平和堂楽器さんと吉田楽器さんでした。商店街の近くにあり、僕らの街で唯一流行の最先端はそこにあった。(まぁ言ってみれば、B'zの稲葉浩志さんの音楽性も育てた一端を担ってるお店かもしれないね)
その後、1992~3年頃に東津山駅前に出来た『ブックセンター コスモ』がその手の店の巨大勢力になった(最近閉店しましたが)。アルネ津山の裏で2000年代の後半くらいまで営業していた吉田楽器が河辺に移転してからは、LMを扱う楽器屋は津山市では消滅。
かつては作陽音楽大学をかかえ音楽の街と呼ばれていた。中国地方各地より音楽を学ぶ学生たちが集った津山市ではあるが、作陽音楽大学の移転を皮切りに、音楽としての街の勢いを悲しいほど失っていくことになる。
とまぁ長い前置きになったが、その吉田楽器さんの中古コーナーは人口10万人程度の地方都市の楽器屋としてはなかなかのラインナップだった。
2007年頃、実家に帰省しているときにフラっと立ち寄った吉田楽器(商業施設アルネの裏にあった頃)。地方都市の商店街のお店には人はいない、本当にいない。その静かな店内で良さげなワウを見つけた。
ロジャーメイヤーの『レッド・ライオン』(基盤)を搭載したワウ。なぜか知らないが、その箱のデザインに妙に惹かれてしまって思わず購入。 音痩せも少ないし、格好いい音が出るし、入手してから14年近く経った今でもお気に入りの一台です。ただとにかく私がワウを使わない、年に一回出すか出さないかという感じで、使用頻度が低すぎる…笑
今日のブログの津山市の様子、1970年代後半から1980年代生まれの幼少期にバブル期を過ごした人だったら、色々と思い出して懐かしさを感じてもらえると思います(^^)
色々探してたら1987年当時の銀天街の様子が出てきました。私はまだ小学生の頃なので、この頃はあまりこの辺に足を伸ばしてなかったですね。この時代にはもうB'zの稲葉さんは津山にはいません、B'zとしてデビューする少し前ですね。
Taylor 110
2007年頃の初夏に購入、手放したのは5年くらい前。
イケベのリボレで購入。当時の僕はシンガーソングライターとしての活動をメインとしていたので、生で比較的大きな音がなるものを探して、店頭にあったものと在庫と比べさせてもらって、最初から店頭にあったよく鳴る方を購入。
これを手に、関東のいろいろなところでストリートライブをしました。弾きすぎて、ボディがピッキング傷でガッタガタになるほど弾きました。持ち運びも軽くていいギターでした、まさに戦友。でも申し訳ないことに、今思い返してみるとなぜだかそれほど思い入れがないのはなんでだろう…。自分も心底、満足するまで作曲や練習や路上で十分使ってやったからかなぁ。
最後のほうは、故障としては定番ですが指板に縦に割れが入ってしまったりしてましたね。。上の方は良く鳴るものの、中低音が出ないのが不満だったな。沖縄の人に買われていきました。今頃は沖縄で余生を過ごしてるのかな。
YAMAHA AW2816
これも正確には手放してないのですが、実家でお眠りになっているのでついでに。
2005年頃、秋葉原のソフマップの中古を扱う店舗にてDMTR(デジタルマルチトラックレコーダー)を中古で購入。中古価格で¥28,000くらいだったでしょうか。2000年初期、家庭での録音といえばコイツでした。
しかしながら、私が入手した2004~5年頃にはすでに世はコンパクトなインターフェース、M-BOXとProToolsを使ったPC録音が流行、デジタルMTRの中古市場はかなり値崩れを起こしていました。世の流れと少し遅れ、これを2005年頃に購入してから自宅レコーディングを本格的に開始しました。
ジョグダイヤルに、大きめの画面とスイッチ、ひと目でON/OFFが分かるチャンネルボタン、ムービングフェーダーを装備し、どこに何が入力されているか一目瞭然。非常に便利でエフェクトも高音質、コイツでオリジナルを何曲も録音しました。
初めてのオリジナル曲
一番最初形にしたオリジナル曲もこのMTRを使い、一曲に3ヶ月以上かけてじっくり録音しました。オケは90年代後半からシーケンサーの定番だったQY100です。これは本当使い倒しました。2015年くらいまで12年間くらい、ボタンが馬鹿になってしまって操作できなくなるまで使いました。
これはAW2816で録音しました。最後の方のオブリが気に入らなくて、そこだけPCの録音で3年後くらいに録音しなおしています。 映像に意味はありません。マジメにプロモする気がなかったんでしょう、鶴見線に乗った時の写真をスライドショーにしています笑
実は2005年頃にはすでにMTRの時代ではなく、家庭でのPC録音が流行りつつありました。ProToolsとインターフェース「M BOX」がかなり流行っていた記憶。
専用インターフェース、後ろ側にXLR×2とHiz入力があります。
実は私も2005年にはPCと録音を始めようとインターフェースを入手したのですが、ソフトのアクティベーションというものが理解出来ておらず、録音して30秒くらいでどうにも止まってしまう意味もわからず、(PCスペックが追いついていないんだ…)と手放してしまいました。アクティベーションはもちろん、レイテンシーもすごかったのでスペックが追いついていないのは本当だったのですが。
【追記 2024-02-28】
一昨年、コロナ禍が緩んで3年ぶりくらいに実家に帰ったとき、一気にメルカリで売ってしまいました。一日経たない間にあっという間に売れました。こういう機械って、どんなに古かろうが、絶対に部品取りで欲しい人がいるんで、即売れるだろうなって思ってました。
どうでもいいですが、この写真に写ってる座卓。つい先月やっと捨てられました。もうそろそろ人生も折り返し、(突然私にもしものことがあったら、片付ける家族が困る…)とか考える年齢になってきて、積極的に色々捨て始めました。
中古で買ったものの、日本語マニュアルが無いため非常に苦労しているのでメモ。もちろん昔の代理店だったオカダにも問い合わせたし、今のソフトウェア版のメーカーさんにも問い合わせたけど、日本語の取説はなかった。後者に関しては、「ネットで検索すると英語のものが見られるのでそれを参考にされてください」とご丁寧に教えていただきましたが、翻訳ソフト片手にでもちょっと厳しい…
ディスプレイの明暗調整
タイトルナンバーが出ている画面で
【FUNCTION】ボタンを押す
↓
【 #00プログラム名 | Soft Functions 】
の状態でジョグダイヤルを回すことで表示の明・暗の調整可能。
こんな単純なことでも、マニュアルがないとさっぱりなんですよね。
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一晩、本気でいじって…
どういう仕組みか、すぐわかった…笑
セーブ、ライト、オーバーライト…なるほど。
新しいプログラムのセーブは勝手に空きスペースにセーブされていく仕組み。増崎さんが作った、最初からはいったままのプログラムは大体12個くらい。当時はそれをもう一台のH3000を駆使してやり取りしてたんだな。なるほど。
基本的に増崎さんが作ったデチューンコーラスのプログラムがこの機械のウリといえる。それをベースにしながら色々いじってみましたが、増崎さんが作ったデチューンの出来が良すぎるので、全くイジる必要がない!僕が大好きだった頃のビーイングやDIMENSIONの音がそのまま出てくるので、本当4万円ちかくもかけて全く音がでない状態から修理して、完治させてよかったなと今日本気で思いました。
最近の高級デジタルマルチで「あの音は出せる」と言われる方もいらっしゃいますが、やはりこれの音はワンアンドオンリーのサウンド。似た音は出せるかもしれませんが、実機の音を知ってる僕からするとデジタルマルチのそれは「全く別の音」です。これのデチューンはまだこれでしか出ません。
後継機である、『Eclipse』それのオカダインターナショナル正規輸入品には、増崎さんの作ったパッチがインストールされてたっぽい。だから「LUKE SHIFT」とかのプログラム名も同じ。
この見慣れたサイン、ここ10年くらいはDIMENSIONとすっかり離れていたので、サインを忘れていました。(1ヶ月位誰のサインだろう…)って人に聞いたり、筆記体のクセを調べたりしながら四苦八苦。しかしある日、自分が持っているギターのヘッドに書いてあるソレと一緒のことに気づくのにこれほど時間がかかるとは…笑
あと、わからないのはMIDIの仕組みくらいですかね。これはEventide H3000だから云々じゃなくて、私はMIDI設定の仕組みがいまだによくわかっておらず、スイッチャーをいじってた頃から理解してなかった。 MIDIコントロラーは持ってるので、なんとかMIDI制御できるようになれば便利なのだが…。
こういうふうに天板にサインが入っていて、テープで消えないようにされています。前のユーザーさんは、長野の松本にあったオカダ系商品を沢山取り扱っていた、「Beans」で購入されたとのこと。僕は世田谷の駒沢にあった『Beans Tokyo』にはよく立ち寄っていたので、馴染み深い。
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YAMAHA MG-MⅡ
これは手放してないのですが、実家でPUも外され、お眠りになっているのでついでに。。。
ご存知、初期B'zのトレードマークのような存在、松本孝弘モデル。友人からB'zのLIVEビデオ(ビデオ!)『JUST ANOTHER LIFE』を借りて、夏休み中の間、松本さんのソロタイム「LOVE YA」を繰り返し、しかめっ面でエロい曲を弾き倒す松本さんの姿を何十回も見て、そして僕のギター人生が始まったのでした。あとはこれまた人気絶頂期のチャゲアスの「SAY YES」ツアーでASKAさんがMGを抱えていたため。
当時は学校のルールでバイト出来なかったので、1ヶ月くらい頼み込みまくって、小遣いを前借りするという形で、父と一緒に楽器屋に買いに行ったのを思い出します。
これまでお年玉で買える範囲内の趣味で、「ねだって買ってもらう」ほど高価なものを欲しがったことがなかったので、父としても困ったでしょうね。 父が死んでしまった今となっては、あのギターの費用はどこから捻出されたのかはわかりません。父よ!ありがとう!
当時の最新ツアーでメインだったネオングラフィック(MG-MⅡG)がほしかったものの、定価¥85,000。 このブルーのはアルバム「RISKY」ツアーでメインだったもので¥75,000。 最初はもちろんネオングラフィックの方を希望したのだが、父に「高い!こっちなら買ってやる」と言われ、ちょい渋々MG-MⅡを選んだのでした。 まぁアルバム「RISKY」も後々で大好きになったので、この選択は全然後悔はしませんでしたけど。
HSHにロック式アーム、最初は弦交換がさっぱりわからず。分かりづらい説明書と格闘しながら1時間くらいかけて交換したような気がします。それ以来私はむしろロック式じゃないとダメってくらいロック式が好きになってしまいましたが。
ネックはストラトとLes Paulの良いところどりみたいなネック、むちゃくちゃ握りやすくスケールもミディアムでプレイしやすい。バスウッドボディはとても軽く、全く疲れません。その代わり低音は全く出ません。
1991~2年辺り、憧れのギタリストといえばまだBOOWYが解散して数年しか経ってませんでしたので、布袋さんが人気ナンバーワン。次いで、80年代後半のハンドブームより着実に人気を獲得しつつあったXのHIDEさんでした。
まだ音楽性が『デジタルビートでダンサブル』なTMNファミリーやその系統であるB'zは、いわゆるクラブ文化。まるでバブルの六本木のような、チャラい雰囲気を内包していたため、当時の「人気のギタリストの定義の枠」からは少し外れた存在だった気がします。
B'zのお二人が本格的に、男っぽい硬派な感じ&バンド感を全面に出して売り始めたのはやっぱ『RUN』『7th Blues』の頃からでしょうしね。
YAMAHA APX-10N
高校生の頃に年末年始の郵便局のバイトをして、初めて自分のバイトしたお金で買ったギターです。定価¥110,000ほどで¥90,000くらいで購入したでしょうか。懸命なチャゲアスファン方はお気づきでしょう、そう90年代前半にASKAさんが持っていたCUSTOMモデルにそっくりなものを選んで買ったのです。
B'zでは松本さんが、カシオペアでは野呂さんが、ミュージシャンがこぞって90年代初期はAPXを使っていました。今でこそエントリーモデルの代名詞のようになってしまいましたが、当時は50万のカスタムモデルをラインナップするYAMAHAエレアコのフラッグシップモデルだったのです。
アンプはサドル下のピエゾとTOP裏にあるマイクのバランスを調整でき、ステレオケーブルを使えば偶数弦と奇数弦を左右別々にパンできるという謎仕様でした。意表を突く仕様ではあるかもしれませんが、それ意味ある???っていう感じの機能です。
確かイケベリボレの通信販売で購入したような気がしますが、阪神大震災(1995-01-17)を挟んでしまったため、流通が死んでしまって到着までに2週間くらいかかった記憶があります。 初めて自分で注文したギターで、当時の高校生に巨大地震の交通マヒなどわかるはずもなく、苦情の電話を入れたような気がします。申し訳ないことをしたな…。
本当長い間所有していたのですが、5年くらい前に現在メインで使ってるアコギを入手したのでオークションで手放しました。 「その店にその人あり」みたいな、某有名カリスマショップ店員さんが落札。その当時そのカリスマ店員さんがご自身のブログで写真付きでアップしてて判明したので書いてます。
Gibson Les Paul Custom 1981年製
今は跡形もない渋谷の駅の側、246沿いにあったKEYで中古で10万程度だったでしょうか。ガリもひどく『現状渡し』みたいな状態でした。
当時B'zの松本さんを神と崇めていた私は、シングル曲『Calling』で黒のCustomを弾いている松本さんに憧れて、割と即決だった気がします。その時期はHR&HMに傾倒していたので、ザック・ワイルドやジョン・サイクスにあこがれていて、とにかくLPがほしい時期でした。
81年シャロージョイントでフレットレスワンダーでフレットが超絶低い。弾きにくいったらありゃしない。そして重量。この当時のLes Paulは中身が全部詰まってるので、鬼のように重い。Customなので角が骨にあたって痛い、肩がこる、もう苦労しかなくて、一年ほどでAIRCRAFT AC-5を買うために売ってしまいました。
ただ、当時通っていた専門学校で見に来ていた業界人のおえらいさんが「君のギターむちゃくちゃいい音するねえ!!」って絶賛してくれたのを覚えています。
写真は購入したばかりの頃に撮影したものですが、すぐに当時の松本さんのようにカバーとPGを外してしまいました。その後ペグをグローバーのシルバーのににして、そこだけジョン・サイクスっぽく金と銀の混ざった変な仕様になってしまいました。