1993年当時

夢の番人BD発売記念。先日実家で漁ってきた1993年
まさに夢の番人の時代のCHAGE&ASKAが表紙のパナソニックのカタログ。





PanasonicRESTY という機種だったでしょうか。 いまカタログ見ても、ワクワクしますね。音は今のシステムに比べたら全然劣るんでしょうけど、でもこのいかにもデジタルしすぎなパネルは心躍るものがあります。 この頃の僕らはバブルがはじけたことなんて全く知らず、「この世の中はどこまで進んでいってしまうんだ」と期待と不安が無尽蔵でした。意外とその後、期待した未来は来ず、まさに夢と終わったわけですが。誰が今、こんな厳しく味気のない世の中になると思ったでしょうか?(笑)






隣のカタログはヤマハEOS






この頃のCHAGE&ASKAは、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いでした。パナソニックCHAGE&ASKAを起用し、CMでASKAソロあたりから、GUYSの頃までCHAGE&ASKAとセットで映像が作られてましたね。


我々の時代は何故か「高校入学したら、コンポを買ってもらう」が恒例になっていた時代でした。中学生位から親や兄や姉の影響で音楽を聞き始めます。 あの時代だと、BOOWYプリンセスプリンセスTMネットワーク爆風スランプ徳永英明大江千里筋肉少女帯、初期のXなどなど友人の兄ちゃんや姉ちゃんが、モロにカセット世代で、80年代後半から90年代にかけてCDへ乗り換えた際に、不要になってしまったダビングしたアナログカセットを大量にもらったりしました。


そういった音楽に興味を持ち始めて、高校入学と共に自室に機械を揃えるってのがちょうどいい時期だったのでしょうね。 やたらケンウッドが人気ありました。カーステレオメーカーで、専門分野じゃないのに、何故か日本の家電メーカーにないスタイリッシュで都会的な感覚に我々田舎の高校生たちは憧れをもっていたのでしょうね(笑)





ちなみにウチは僕がアイワシュトラッサー。今はもうすでに手元にはありませんが、大好きな機種でした。修理に2度ほど出して、2002年くらい大学生の頃まで、もうボロボロになるまでずっと使ってました。 


3バンドEQと、ギターのアンプで言うようなプレゼンス、いわゆるトレブル以上の高音域をいじれるEQ、『BBC』だっけな。あとカセットデッキのドルビーがB.C選べて、ノイズの多いラジオ視聴にはとても便利でした。 チャゲののるそる、チャゲのラジ王、赤坂泰彦のミリオンナイツ、B'zビートゾーン、ジェットストリームコサキン…、ラジオ聴きまくりでしたね。 あと決め手は友達はみんなケンウッド、SonyPanasonicだったので誰も持ってないってのが逆に僕は良かった(笑)




カセットデッキコサキンの聴き過ぎで、両方とも120分テープが絡み付いてデッキが開かなくなってしまい、さすがに修理してももう修理費もバカにならないということで、自然と使わなくなってしまいました。 大学の軽音楽部の部室に寄付したけど、もうさすがに処分されただろうなぁ・・・。




ラジオを聴くための禁断の120分テープ使用(120分テープは絡みやすいために、デッキの寿命を縮めるものとして、オーディオ好きは『使ってはならぬもの』としてありました)をしてしまったがために、プレイヤーの寿命を縮めてしまいました。惜しいことをした。





1993年Panasonicカタログ、他のページ




MDの登場は『カセットへのダビング編集時代の終わり』と言ってもいいでしょう。 90年代〜後半まではCDウォークマンに、CDスリーブケースにマスターを入れて持ち歩くあのスタイルが音楽好きの外聴きスタイルでした。 この頃はMD7割、CDウォークマン3割程度だったように記憶しています。 特にMDは録音もすぐにできるし、音楽だけじゃなく、ラジオなども入れることができ、用途が広い事から大学生の講義録音や、軽音部のバンド練習録音まで2000年代初期の大学生としては欠かせないものでした。  ちなみに予備校時代はテレコでした(※テープレコーダーの略称)



2002年のパソコンの導入、そして、2003頃パソコンとインターネットの普及からからだんだんとポータプルCDプレイヤーも、MP-3の読み込める機種が出始めます。 持ち歩くのはマスターから、自分で編集したCD-Rへ変化。だんだんと「マスターはバックアップ用」というパソコン使いの意識が段々と根付き始めてきます。この頃のインターネット普及率が40%台、2003年頃には友人がネトゲ廃人とかやってましたね(笑)



2000年代初期ではまだ音楽ファイルを入れて持ち歩くスタイルのプレイヤーは登場しませんが、家での音楽視聴はパソコンでのデータ視聴がだんだん増えていきます。でもやっぱり革命はiPodとケータイで音楽を聴くスタイルが確立されてからでしょうね。







さて、時間軸を90年代中盤に戻しますが
弟の入学祝いがパイオニアのLDコンポ。これは僕がLIVE LDや当時リアルタイムで見てハマっていた、エヴァのLDを見たいがために弟に薦めて選んでもらったものです。いまだに実家で現役。 部品保持期限が切れる直前に、ガタが着てる箇所を完全に治し、今現在も実家で鎮座しております。 実家に帰ると、B'zやCHAGE&ASKAAKIRAのLDを見たりいまだにしますねぇ。




現役のイオニア CL-J35LD





先日帰省したときも、高校時代にカセットテープ(メタルポジション)で録音したMr.Childrenの『BOLERO』(1997)を流しながら作業してたんですがね、やっぱ音がいいんですよ、特にメタルのカセットはさ。CDには及ばないものの、アナログのもつ柔らかさがあって、カセットってやっぱ最高だなぁと感じた次第。 なんか耳が幸せになるんですよね。でもヨレた部分もあったりして、それがまた味なんですが(笑)



イオニア CL-J35LD  前面パネル

弟も進学校へ進んで忙しい日々で、ほとんど使うことなく、大学進学・就職で出てしまいコイツは置いていってしまったため、かなりの良コンディションと言えるのでは。あまり売れなかったのでしょう、ネットで探してもほとんど情報が出てきません。(^^;







ま、残念ながらこの90年代あたりで日本の音楽シーンは絶頂期を迎え、あとは終息していくのですが。。。この後、流行の主流だった音楽は、2000年代初期から『ケイタイ』にその座を奪われ、今現在10年代ではサブカルのただの『趣味の一部』として収まってしまうのです。





1993年キーワード

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振り返れば奴がいる」「ひとつ屋根の下」『無責任艦長タイラー』『機動戦士Vガンダム』『ミュータントタートルズ



ミサンガ ナタ・デ・ココブーム 『マディソン郡の橋』 ドーハの悲劇 今上天皇・皇后、即位後初の沖縄県訪問 皇太子徳仁親王、小和田雅子のご成婚


僕が中学生くらいの頃でしょうか? 羅列してみると割と最近な気もするし、この年代の印象はよくわからないな…。 ただ、だんだんと時代が『混沌』へ向かっている雰囲気が、文字の羅列の中からも感じられるのは僕の気のせいでしょうか…。



しかしながら、音楽に関しては90年代までは『音楽に夢がある時代』でした。 晩飯時、お茶の間に集合して老いも若きも、みんながTVを囲む次代、その中でミュージシャンは誰もが認めるスーパースターであり、国民的なアイドル、ヒーローだったわけです。 この二人の親しみやすいキャラクターは万人に受けいれられ、その人気はアジア全土に達しました。その頃の勢いある彼らの映像がは90年代を表していると言ってもいいんでない?



BD版『special event 1993 GUYS』より。
映像の中で「15周年」とか言ってましたが、すでに30周年ですね。活動休止中とはいえ10年に一回くらいはLIVEしてほしいとファンも願いつつ、待ってます。前回のLIVEが2007年、CHAGE&ASKAとして活動再開はまだなさそうだな(笑)でも、僕はその時をずっと待ってます(^^






CHAGE&ASKAの1993年のBRを買って見たがために、私の思い出語りになってしまいました。ただ懐かしいというか、部分部分の記憶がかなり消えかかってることに少しばかり不安を感じたりします。「昔を懐かしんで留まっているのは意味がないことだ!」と私は割り切って生きているのですが、これはいくらなんでも過去を忘れすぎじゃなかろうかと…(笑) 皆さんそんなものなんでしょうか?


夢の番人 SPECIAL EVENT 1993 GUYS [Blu-ray]

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追記

いやーまさかASKAがあんなことになるとは。一時的なものかと思ったらもう、かなりの重症。「kicks」の頃に(おやこれはちょっとお薬のニオイがする音楽性だなぁASKAにしては珍しい…)なんて思ったものですが、その通りだったんですね…残念です。2016年現在ではもう復帰も絶望視、ファンだった僕ですらもう本気であきらめてます。